ツタエル、あなたを生きる意味 / INTERVIEW 大塚貴一

「生きる意味」ですかぁ。
正直、まだ自分でもよく分からない部分がありますし、それは、一生探し続けるものかもしれません。

その中でも、事業として取り組むものは、できるだけ自分の生きる意味に近いもの、重なる範囲が大きいものを、やっていきたいですね。

そう語るのは、株式会社アスエミ 代表取締役 大塚貴一さん。
アスエミを起業して、もうすぐ2年。
フィットネスやパフォーマンスアップなど、人間の持つ本来の能力を呼び覚ます事業を幅広く展開しています。
爽やかなエリートの内面にある、誰にも譲らない信念と突破力という強さ。
一人の人間に潜む陰と陽が織りなす魅力をお伝えします。


地元のヤンキーから、
関西有名私大への逆転


━━ 大塚さんの過去には、今では想像もつかない時代がおありとか。ますはその辺からお聞かせください。

それは、地元の福岡にいたときに暴走族で特攻隊長をしていた、みたいな下りでしょうか。中学生の頃、剣道部に所属していてそれなりに強かったのですが、部活のメンバーが、自分の意志に反して塾に行き始め、部活に来なくなりました。私としては、自分の考えじゃなく何かを選択する。という彼らに納得できませんでした。結局行くのが面白くなくなり、他の仲間たちとつるむように。彼らたちとの遊びはエスカレートしていき、暴走族になったりしました。

高校1年生の1学期で学校を退学になり、最終的に「少年院か、働くか」を選ぶところまで行きました。働くことを選んだのですが、「中卒」とバカにされたり、手取りもかなり少なかったりで…。あるとき我慢の限界が来て、会社を退職。大学への進学を目指すことにしました。

目指すことにしたのはいいのですが、科目によっては小学校レベルで止まっているものもあり、1日18〜20時間の勉強に打ち込みました。1年近い勉強期間を経て、立命館大学に進学できることに。そこからは、念願だった海外留学や、バックパッカーとしての世界一人旅など、見たことのない世界を見ることの楽しさを謳歌しましたね。


━━ ご就職されてからは、いかがでしたか。

新卒で、日本IBMに入社しました。エンジニアや営業・経理、買収、子会社の管理など幅広い業務を経験しました。続く2社目に選んだのが、株式会社エス・エム・エスという医療や介護系のベンチャー。代表の人柄や企業理念に惚れ込み、入社を決めました。そこでは、単身で韓国支社の立ち上げを任されることに。韓国語も話せない中で一人乗り込み、挑戦の毎日でした。最終的には、アジア横断事業の責任者と、韓国支社の支社長を兼務していました。

全てを懸けれなかった、
最初の起業

━━ 順風満帆だった大塚さんですが、最初の起業では苦い思いもされたとか

2社目の会社とは、退職時に良い形で話がつき、出資を受ける形でシンガポールで起業することになりました。もっと自分の力を試してみたい、という想いがあったと思います。

気持ちだけは大きく、“2000億規模の事業をつくる” と意気込んでいましたが、リサーチに時間を費やし、小さくても良いから何かを始める、ということを怠ってしまいました。

結果資金がどんどん底をついていき、決断を迫られることに。いよいよ資金がショートする段階で、「私財を全て投じればいいじゃないか」と声をかけられました。だけどその時に、私は「自分の全てを懸けることはできない」と思ってしまった。 代表である自分が全てを懸けられない事業が、うまく行くはずなんてないと途方に暮れ、事業を畳む決意をしました。

再びの起業と、理念

━━ 大塚さんが現在掲げていらっしゃる理念は、起業して約1年のタイミングで、明文化されましたよね。

一度目の起業に失敗した後、再度、シンガポールでの起業に挑戦しました。二人目の子どもが生まれるタイミングで、シンガポールに会社を残したまま日本へ帰国。アスエミを立ち上げました。

企業は「社会に必要とされる存在」である以上、個人商店ではない形で、会社の器をつくる必要がある。前職のエス・エム・エスという会社がすごく理念を大事にしていましたし、そういった理念の元に人が集まると思っています。それに加えて、特に最初の内は、自分自身が没頭でき、全てを懸けてもやりたいと思えることが大事だと思いました。だから、この会社をやる意義と、それをなぜ自分がやるのか。そこをしっかりと整理して落とし込むために、理念をつくろうと考えました。

━━ その結果できたのが、こちらの理念でしたね。


健康を得たその先に、

人間の可能性が
どこまでも広がる
未知の明日をつくる。



━━ ここには、どんな想いを込めてらっしゃいますか。

人間の身体的能力が退化していく一方だと言われる中、私は体も脳もまだまだ進化できるはずだと信じています。そのパフォーマンス自体を上げれば、最終的にそもそもの能力自体ももっともっと開発していけると思う。そして、その先に、人々がもっと自分自身や、自分の大切な人に対して自分の時間や気持ちを使えるようになる。そんな世界には、今よりもっと笑顔があふれていると信じて活動していますし、だからこそ自社の社名をアスエミ(=明日の笑顔)としています。

━━ この理念をつくって約1年が経とうとしていますが、その後の変化はいかがでしょうか。

現在は、大きく2つの事業を構想していますが、まさに理念に沿った事業の展開を考えています。

● 健康を得るということをより身近に便利にし、今までにないようなやり方で行うプラットフォームを増やす

● 脳や身体の観点から人間の可能性(パフォーマンス)を広げるということの実現を目指した最先端のサービスを実施している企業になる

理念をつくった当初は、自分自身が実現したい世界観を言語化したつもりでしたが、いまは自分のものというよりは、アスエミという会社の使命だったり存在意義を示すもの、という感じが強くなってきています。この理念は、自分も会社も包含する、大きな器だと思うようになってきました。

またありがたいことに、理念に共感して、多くのメンバーが集まってきてくれています。理念ができた後、ある募集サイトで人材を募集したところ、150名の応募がありました。会社の規模に対して応募数が異例だったらしく、サイトの担当者さんから「理由を知りたい」と問い合わせがあったほど。想いを同じくするメンバーのジョインは勇気になりますね。

アスエミのDNAを
未来へ

━━ 大塚さんは、これからをどうお考えですか。

既にすごくいい意味で、アスエミは私の会社ではないような感覚があります。もちろん、本当に我が子のように可愛い存在なのですが、それを自分のものとして囲い込もうという気は到底ありません。特に直近の10年で確固たる企業のDNAをつくり、後進に渡し、死んだ後も発展していく会社にしたいと考えています。

━━ プライベートでは、週末もご家族と過ごすようにしてらっしゃるとか

そうですね、私にとっては家族と過ごす時間も、インスピレーションの源泉。2歳と4歳の娘がいるのですが、意外と、家族と一緒にぼーっとしている時間に、事業アイディアが浮かぶことも多いですね。もう一度子どもと一緒に海外で生活をしてみたいですし、クルーズ旅行に行ったり、アフリカの大草原にも触れたりもしてみたいですね。

あなたを生きる意味

━━ 最後に大塚さん、「あなたを生きる意味」についてお聞かせいただけますか。

そうですね、それを探し続けているとも言えますが、今思うのは「限界の可能性を広げる」ですかね。自分の中には、人間ってまだまだやれるだろ、という想いもありますし、その先の世界を見てみたい、という大きな好奇心があります。生きている間、そこを追い求めていきたいです。

━━ 「限界の可能性を広げる」、いつも、対象のフロンティアを見ようと行動選択をしてきた大塚さんに、しっくりくる言葉ですね…。今日は、お時間をいただきまして、誠にありがとうございました。

《 聞き手より 》
大塚さんとの理念づくりは、正直今までも指折りに骨の折れるものでした。通常1〜2週間でできる理念づくりが1ヶ月以上に渡り、「話が違う」と冗談を言われたことも。なぜ難しかったのか、それは大塚さんの見ている世界の大きさゆえだったと思います。見てみたい世界の地平が遠く、どこで切り取ればよいのか、が非常に難しい点でした。
理念をつくって1年、ご自身でもはっきりとその先の世界の広さを認識したことで、さらに迷いなく進んでいる姿を見させていただきました。見た目の爽やかさと、内に秘めたるものの強さ。その二つは、インタビューの内容もさることながら、お写真から伝わるのではないかと思います。アスエミの発展を、これからもますます楽しみにしております。


大塚貴一
Kiichi Otsuka


福岡県出身。立命館大学を卒業後、日本IBMに入社、エンジニアや営業・経理、買収 、子会社の管理 など幅広い業務を経験する。続く2社目として株式会社エス・エム・ エスに入社。事業開発マネージャーを経て、アジア横断事業の責任者と韓国支社の支社長を兼務。シンガポールで起業した後、2018年アスエミを起業。
https://asuemi.com/


CREDIT
Interview&Text:Yukiko Ohno
Photo&Edit:Maki Amemori

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